2023年12月16日

 

 

 

 

 

 

写真はありし日の松田鉱二会長(左)と教え子の畑中清詞さん

 

 

名古屋の老舗ジム、松田ジムの松田鉱二会長が12月8日に名古屋市内の病院で亡くなった。82歳だった。
松田ジムは1943(昭和18)年に松田泰雄氏の手で創設された。長男の鉱二氏が82年に2代目会長となり、91年には畑中清詞が中日本地区初の世界チャンピオンとなった。また93年には薬師寺保栄がWBCバンタム級王座を制しジム2人目の世界チャンピオンとなった。
この翌年(94年)には薬師寺vs.辰吉丈一郎の歴史的一戦をプロモーターとして手掛けた。他にも石原英康(S・フライ級)、菅原雅兼(S・バンタム級)と東洋太平洋チャンピオンが育ち、松田ジムは中日本地区随一の有力ジムとなった
鉱二氏は今年2月に肩を骨折し入院。寝たきりの生活が長く続き最後は容態が急変して帰らぬ人となってしまった。長男の鉱太氏によると、死因は「老衰」と病院側から伝えられたそうだ。
●日に営まれたた葬儀には、畑中、薬師寺、石原、菅原の教え子のチャンピオンたちが全員チャンピオンベルト持参で参列し、師に別れを告げたという。
松田ジムは鉱太氏(42歳)が十数年前から運営を任されており、このまま3代目会長として父のあとを引き継ぐものとみられる。「親父以上の活躍は無理でしょうが、とにかく頑張ります」と、鉱太氏は悲しみの中で決意を語っている。

 

 

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