コラム

#8 今村庸一のボクシング・アカデミー:ジョー小泉さんと過ごした日々

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出会い:「ボクシングは科学だ」

「ジョー小泉」という名前を最初に見たのはいつのことだったろうか。

少なくとも半世紀以上も前にボクシング雑誌に出ていた「ボクシングは科学だ」というコラムを読んだとき、その筆者として強く印象に残っている。

この人の記事はかなり変わっていて、ボクシングを日本や世界に関係なく「科学的に」論じるユニークな内容に溢れていた。しかもアメリカをはじめとしてアジア各国のボクシングについても詳細な話が書いてあって、名前からしてもどこの国の人なのだろうと興味を持っていたものだ。

テレビで見たジョー小泉さん

1980年代に入った頃、テレビ東京でアメリカで行われたボクシングの試合が放送されるようになり、その時、解説者として出演していたのがジョー小泉さんだった。

それは、それまでの印象とは全く違い、スーツにネクタイ姿のどこにでもいるビジネスマンという感じだった。しかも番組を通してほとんど笑うこともなく、あまりにも生真面目に淡々と解説をする様子は、それまでの日本のボクシング解説者にはないタイプだと思った。

この人がジョー小泉さんなのか ! 初めてテレビで見たジョー小泉さんは、私にとってはやはり得体のしれない不思議な人物のように感じられたのだった。

WOWOWエキサイトマッチと10年のやりとり

1991年からWOWOWエキサイトマッチが始まり、私は放送作家として番組の構成を担当することになったのだが、解説者は浜田剛史さんとジョー小泉さんに決められていた。

それ以来、ジョー小泉さんとは番組を通して約10年も毎週のようにやりとりをすることになったのだが、特に控室で交わした話の中には二人だけしか通じないような話題も数多くあり、それだけでも番組が何本もできそうな感じがした。

放送開始当初は男所帯のボクシングマニア向けのような番組になってしまい、レギュラー番組にするにはまだまだ改善していく必要があった。

科学とボクシング:F=maと“血液凝固”企画

ジョー小泉さんは元々は工学系のエンジニアである。神戸大学から三菱重工に就職し、様々なプラントの設計に従事されてきたそうだが、ボクシングのレポーターとしては17歳の頃からアメリカの「リング誌」に寄稿していて、国際的マッチメイカーとしても高い評価を受け、2008年にはファイティング原田さんに次いで日本人では二人目のボクシングの名誉の殿堂入りをしている。正に日本を代表する偉大な人でもある。

この経歴だけを見ると生真面目な理科系のエンジニアにしか思えないが、実際に話をすると実に気さくな人であり、どんなことにも好奇心旺盛で、何より関西系の軽いギャグを愛する普通のおじさんという感じがした。

しかしボクシングに対するあくなき情熱と、理科系の専門的知識や情報の徹底ぶりと、ただアホらしいとしか思えないようなダジャレは、私の理解を超えたものがあった。

ジョー小泉さんは物理学や化学に通じた理科系の人である。どこまでが本気でどこまでが冗談なのか判別できないこともあったが、時折、番組でパンチ力について大真面目に説明することがあった。

「パンチ力というのはね、質量と加速度の積で表わされるんですよ。パンチ力をFとして、ボクサーの体重である質量をmとして、パンチの加速度をaとすると、パンチ力は、F=ma の式で表わされるわけです。」

高校の物理で習う運動方程式というやつである。ただこの場でその方程式の話をしても、誰も理解しないだろうし、唐突すぎてついていける人もいないのではないか。「ボクシングは科学だ」の記事には、このようなことが書いてあったこともあったが、それは専門誌の話でテレビ番組には向かないものだろう。案の定、スタッフも浜田さんも、全員が暫く唖然として黙ってしまった。

私はこういうジョー小泉さんは好きだ。とにかく周囲の反応などお構いなしに、ひたすら自分の信じる世界を一直線に追求する。そこに科学者としての矜持があり、同時に融通性のなさもある。そういう態度がボクシングには大切なのだろう。

ある時、控室の打ち合わせで、ジョー小泉さんに何かこの番組でやってみたい企画はないか尋ねてみた。

そうしたら、以下のような答が返ってきた。

「一度ね、皆さんにボクサーが出血したときの、血止めの技術を紹介したいと思っていましてね、それで血液凝固のしくみと、そのプロセスについて解説したらどうかと思うんですよ。・・・」

一同「・・・」。
誰からも反応がなかった。それはそうでしょう。そんな話はせいぜい受験の生物の教科書か、外科の研修医の授業ならともかく、テレビでボクシングの番組を見ている視聴者にはそれに興味があるような人は、1万人に1人もいないのではないかと思われた。それで私から一応確かめてみた。

「それはあの話でしょう?出血すると血管内に白血球が増えて、トロンボキナーゼという酵素が出て、プロトロンビンが体内にできることで、出血を防ぐためにフィブリノーゲンの働きによって、繊維状のフィブリンが出来て赤血球に付着するようになり、その結果、血液凝固が始まる」と。

ジョー小泉さんは「そうそう、その話、その話。面白くないですか?」と笑いながら答えた。

ようやく事態が分かったらしく、全員で大笑いした。あまりにも現実離れした話だったので、一同可笑しくなってしまったのだった。当然、この企画はボツになったが、現代のようなYouTubeのような動画配信なら、「血液凝固のしくみ」に関心をもって見てくれて「いいね」を押してくれる人もいるかもしれない。

MO(モンタナ州)とモリブデンの小ネタ

それからこんなこともあった。

番組収録前の控室の打ち合わせのときに、ボクシングが行われている場所の話題になった。アメリカから送られてくるビデオには、試合が行われた会場の州がアルファベットで表記されているものがある。カリフォルニア州ならCA、フロリダ州ならFLなどだ。

そんな中にMOと書いてあるものがあった。それを見てジョー小泉さんは「はて、MOとはどこの州だったかな。」

それで私はすかさず「MOはモリブデンですよ。」と言ったら、「えっ?モリブデン?そんな州あったかな?」と怪訝な顔をしたジョーさん。

次の瞬間、私の冗談に気付いたらしくニヤっと笑って「モリブデンね。」と言いながらスタジオに入っていった。私とジョーさんだけの二人の世界であった。

(※ MOはアメリカ北西部にあるモンタナ州のこと。また元素記号のMOは金属鉱物のモリブデンを指す。)

名物ダジャレと「エド(江戸)時代の終わり」

WOWOWエキサイトマッチが始まると、番組の中で度々出てくるジョー小泉さんのダジャレが評判になった。ジョーさんは、根っからの関西人らしく言葉遊びが大好きだった。それもボクサーの名前を使って、普通は思いもつかないようなダジャレを考え出して、ここぞというところで連発するのが得意だった。

「チャナのちいちゃなパンチ」とか、「モーガン選手、もう頑張れません」とか、殆どが単なるダジャレなのだが、これが視聴者には大受けした。番組に寄せられる意見や要望でも、ジョーさんのダジャレに関するものが大多数で、毎回これを楽しみにしているというファンの人もいるほどだった。

しかし番組も1年、2年と経ってくると、だんだんネタ切れになってしまうことが多く、ジョーさんのダジャレも年を重ねるにつれて切れ味が今ひとつになってきた。ジョーさんも、皆んなが笑えるようなダジャレを毎回考えるのが面倒になってきたらしく、私にも何かいいアイデアがあったら教えてくださいと言うようになってきた。

私もバラエティ番組を担当するようなときには、芸能ネタをいろいろ考えたりしたものだが、エキサイトマッチはWOWOWを代表するスポーツ情報番組であり、個人的には教養番組でもありたいと考えていたので、出来ることなら同じダジャレでも教養と品格を備えたものが良いのではないかと思っていた。

そんな折にアメリカの次代のスーパースター候補と見られていた、エド・ホプソンの試合を放送することになった。エド・ホプソンは1988年のソウル五輪にも出場したホープで、1995年に無敗のまま念願のIBF世界S・フェザータイトルを獲得した。これから、長らくこの階級で一時代を築くことが期待されていたボクサーだった。その初防衛戦、トレイシー・パターソンとの試合のビデオが届いてきた。

どんな選手なのだろうと期待を込めて見てみた。驚いたことにいきなりエド・ホプソンは挑戦者のパンチを受けてダウン。何と2ラウンドまでに4回もダウンして、呆気なくTKO負けで王座から陥落してしまった。

何というとだろう。あれだけ期待されていたのに・・・。エド・ホプソンの時代も終わってしまった。その時だった。たまたまつけたテレビで、幕末の時代劇が放送されていた。これで江戸時代が終わったわけだな。

江戸時代の終わり。エド時代の終わり。・・・そこで閃いた。そうだエド・ホプソンの時代の終わりは「エド(江戸)時代の終わり」なのだ。これは使えるかもしれない。これなら単なるダジャレだけではなく、歴史の勉強にもなるではないか。

そう考えて、さっそく控室でジョーさんに話してみたら、「ああ、それは面白い、面白い。」と言って、その番組の収録で「エド・ホプソンの時代が終わりました。

これがエド(江戸)時代の終わりです。」とダジャレにしてまとめてくれた。しかし実況の高柳さんからは、ただ軽く笑われてしまっただけであった。

まあ大した話でもないが、エド・ホプソンの「エド(江戸)時代の終わり」は、私とジョー小泉さんが二人で考えたダジャレの合作なのであった(笑)。

番組の課題と“ジョー小泉の一日”ドキュメント

WOWOWエキサイトマッチは、男だけの世界だったので、どうしても堅苦しい印象が拭えなかった。そのためスタジオ部分の司会者に女性アナを入れて、全体として家族で楽しめる番組にしていくことが課題となっていた。

解説の浜田剛史さんとジョー小泉さんのコンビは、まずまず噛み合ってきたのだが、スタジオ進行をもう少しソフトにする必要から、高柳さんとコンビとなる女性アナとして安江真由美さんに加わってもらうことになった。基本的にはスタジオ進行は、私が書く台本に沿って進められていくのだが、私がそれまで担当してきた報道番組やワイドショーなどの知識をもとにして、エキサイトマッチももっと視聴者に身近に感じてもらえるように、様々な工夫をすることになった。

ある時プロデューサーの大村さんから、ジョー小泉さんを紹介するドキュメンタリーを作れないかという相談があった。10分前後のドキュメンタリーで、ジョーさんの一日を密着取材したらどうかという提案だった。

実はあらゆる番組の中でもドキュメンタリーを作るのは一番難しい。テーマの設定から始まり、コンセプト、視聴対象、取材の目的や方法、映像や音声の効果と編集、等々、映像制作の基礎をしっかり身に着けていないと優れたドキュメンタリーを作ることは出来ない。

今回の目的は、ジョー小泉さんという人はどういう人で、普段は何としているのかを取材して、視聴者にも身近な存在に感じてもらうことであった。その趣旨はよく分かるのだが、いわゆるヒューマンドキュメントを作る場合には、その人物の見た目の魅力やユニークさが何より大切になるものだ。

とりあえず、女性の眼から見たジョーさんを取材するということにして、安江さんにジョーさんの事務所に行って、インタビューを撮ってもらうことにした。そのあとスタッフには自宅から後楽園ホールまで「ジョー小泉の一日」を撮影してもらうことにした。

その映像を見て唖然とした。自宅のマンションから鞄を持って出るジョーさん。電車に乗って水道橋で降りて、後楽園ホールに向かうスーツ姿のジョーさんが映っていた。見るからにどこにでもいるサラリーマンが出勤する姿にしか見えず、視聴者が見ても面白いとは思ってくれないようなものばかりだった。

安江さんからも、ジョーさんの事務所に行った感想を聞いてみたら、とにかく部屋一杯にボクシングの本や資料やビデオがあって、ただびっくりして帰って来たようであった。これで10分のドキュメンタリーなんか作れるものだろうか。少なくとも視聴者の人が見たときに、興味深く、親しみを感じてもらうようなものにしなければならない。

それでここは安江さんには、私が書くナレーション原稿を読んでもらって、少しでもジョーさんの魅力が伝わるように努力してみることにした。ナレーション原稿を書き終わって安江さんに見せたところ、「これ、本当に私が読むんですか?」と言われた。これもこの番組を担当することになった仕事だと思って、少し無理を承知で読んでもらうことにした。

以下、そのナレーションの一部。
「・・・いつもスーツにネクタイ姿がピシッと決まっているジョー小泉さん。その七三に分けたヘアースタイルがたまらない ! というファンの人も、多いそうです。・・・」

そんなわけないだろうと思いつつ、ナレーションで盛り上げなければならない放送作家の辛い立場というのも、理解していただけるとありがたいものである。

贈り物・震災映像・クリスマスプレゼント

このようにしてジョー小泉さんとは、約10年間、和気あいあいの雰囲気の中で一緒に仕事をさせていただいた。ボクシングに対する情熱や使命感は大変なものだし、その膨大な知識や情報は、もしボクシング学という分野の学問があれば、間違いなく日本一のボクシング博士に認定される人だろうと思っていた。

語学も英語やスペイン語のほか、韓国語やタイ語なども堪能で、まさにボクシングの生き字引といえるような人であった。私とはタイプも専門分野も違うので、時々、理解不能だったこともあるし、とりわけあの関西系のダジャレに関して言えば、どうしても私にはマネのできない世界にいる人だと思ってしまうのであった。

ところで、私から折に触れてジョーさんにプレゼントしたものもあった。私が本を出版したり研究論文を書いたりしたときには、ジョーさんにも真っ先に読んでもらったりしたし、当時私が研究していたメディアや、衛星放送の最新情報なども、出来る限り共有してもらうようにしていた。

また私は国際政治学会の会員にもなっていたので、世界各国の近現代史の書籍や資料などもよく見ていたのだが、その中で「フィリピンの歴史」という本をプレゼントしたときには、とても喜ばれていた。ちょうどフィリピンのルイシト・エスピノサのために、ジョーさんがフィリピンに頻繁に行き来していた時期で、改めてフィリピンの近現代史や政治や文化について知ることが出来たと言って喜んでおられた。

それから1995年に阪神大震災が起こった年には、ジョーさんが神戸出身だと聞いていたので、震災発生から約3か月に起こった、貴重な映像を集めた「激震の記録」というビデオを、ダビングしてお渡ししておいた。それは大阪ABCが制作したもので、東京キー局にはない神戸の街を記録した膨大な映像を、震災前と震災後のものを対比させながら編集したものであった。このビデオは非売品で、私にところには大阪の知り合いから、特別に送られてきたものだったのだが、神戸の路地裏の隅々までよく知っているジョーさんにも、ぜひ見てもらいたいと思って送ったものであった。

さっそくお礼の電話がかかってきた。「映像に出ていた場所は、全部知っている所です。見ているうちに涙が出てきましたよ。本当にありがとうございました。」と、いつもクールなジョーさんには珍しく興奮気味にそう言われていた。ジョー小泉さんは、とても気配りが効いて人に優しいところがあった。

ある年の瀬のクリスマスの頃に、ジョーさんがアメリカへ仕事へ行ってきた帰りに、ニューヨークで、個別のクリスマスプレゼントを買ってきてくれたことがあった。私にはクラシック音楽の愛好家であることも知ってか、モーツァルトのCDセットをプレゼントしてくれたのであった。

まとめ:感謝

普段からボクサーの個性を見極めながらマッチメイクをするように、ジョーさんの人を観察する眼はとても細やかで、確かなものであるように感じたものだ。

この人がいたから、私も「ボクシングは科学だ」の文章を読み、ボクシングに興味を持つようになって、科学的な思考でボクシングを考えられるようにもなったように思う。

WOWOWエキサイトマッチで約10年間、この人と仕事でご一緒できたのは、とても幸運なことでもあったし、私にとっても幸福な時間を過ごすことが出来た。

今改めて、その時代を振り返りながら、感謝したいと思っている。
理事長:今村庸一

理事長:今村庸一
1956年生まれ。駿河台大学メディア情報学部名誉教授。メディア論。東京大学大学院社会学研究科卒。
放送作家として数多くのスポーツ番組の企画・構成を担当。1990年よりWOWOWエキサイトマッチの構成を10年間担当。「ワールドボクシング」にもコラムを連載するなど多数執筆。

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