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日本初の世界王者 白井義男さんが大切にした宝物の話

白井義男氏の扇子
白井義男氏の扇子
 
日本プロボクシング協会は5月19日を「ボクシングの日」と制定している。

今から74年前の1952年(昭27)のこの日、東京・後楽園球場で白井義男さんが、世界フライ級王者ダド・マリノ(米国)に判定勝ちを収め、日本人初の世界王者になった。第2次世界大戦の敗戦からわずか7年。ラジオ中継が伝えた歴史的快挙に列島が熱狂した。
日本人初の世界王者 白井義男
日本人初の世界王者 白井義男
その白井さんが生涯にわたって大切にしていた現役時代の宝物がある。対戦相手のサインが記された扇子である。開くと26人の往年のボクサーのサインが、ずらりと並んでいる。ほとんどが白井さんと対戦した名選手。約70年前のものだが、破損はなく、名前ははっきりと読み取れる。

世界王座を奪取した相手のマリノをはじめ、5度目の防衛戦で王座を奪われた、パスカル・ペレス(アルゼンチン)まで、世界タイトルをかけて戦ったライバルたち全員の名前もある。おそらく白井さん自ら対戦相手の控室に出向き、サインをお願いしたのだろう。2003年12月に白井さんが亡くなった後も、自宅で大切に保管されていた。

4年前、白井さんの妻登志子さんに扇子にまつわるこんな話を聞いた。

「まだ世界王者になる前、カーンさん(コーチ兼マネジャーの米国人アルビン・カーン博士)と知り合った頃から始めたようです。試合の記念ということだったんですね。世界王者になってからは、試合で遠征したアルゼンチンから『扇子を忘れたから送ってくれ』という手紙がきて、郵便局に行って送った記憶もあります」。

ボクシングは相手と殴り合って勝負を決める。その競技性ゆえに、闘争心を高めるため対戦相手を敵対視するボクサーが多数派で、試合前のにらみ合いや舌戦も珍しくない。白井さんの行動はどこかボクサーらしくない。

「主人は決して相手を悪く言わない人でした。マリノさんともカーンさんを交えて一緒に食事をして、和やかな雰囲気でした」と、登志子さんが明かしてくれた。

世界王座初挑戦の時、白井さんが羽田空港に到着した航空機のタラップまで出向いてマリノを出迎える映像が今も残っている。ボクサーは命を削るような練習と減量を乗り越え、逃げ出したくなるような孤独と重圧と恐怖に打ち勝ってリングに上がる。

それは拳を交えるライバルが誰よりも分かっている。対戦相手は敵ではなく、敬愛すべき戦友なのだという証を、白井さんは扇子に集めていたのだろう。

また第2次世界大戦の敗戦国だった日本は、終戦後しばらくは戦争を引き起こした責任を問われ、スポーツの国際大会への参加が認められなかった。1948年のロンドン五輪も同じ敗戦国のドイツとともに招待されなかった。そんな時代だったからこそ、白井さんは日本人代表としてボクシングを通じた〝国際親善〟を意識していたのかもしれない。

サインの中に武藤鏡一の名前を見つけて、生前、白井さんから聞いた話を思い出した。対戦は世界王者になる3年前の49年(昭24)9月。相手は同い年の兄弟子で新人時代からの親友。KOする自信はあったが、大観衆の前で打ち倒すのが心苦しく、10回まで戦って判定で勝つつもりだった。

試合は開始から白井さんの一方的な展開になった。1回終了後、セコンドのカーン博士が怖い顔でこう言った。「おまえは真の友情を持っていない。友だちを10回まで殴り続けるつもりか。本当の親友だったら早く楽にしてあげなさい」。白井さんはこの言葉に「目が覚めた」と語っていた。3回に左アッパーをボディーに決めてKO勝利。兄弟のような仲は引退後もずっと続いたという。

きっとこの扇子は、白井さんにとって、青春時代の成長の記憶が詰まったボクシング人生の映し鏡でもあったのだと思う。そして、ボクサーにとって対戦相手とは、ではなくお互いを高め合う仲間であり、大切な味方なのだということを、この扇子があらためて私たちに教えてくれている。

首藤 正徳

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