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#10 今村庸一のボクシング・アカデミー:ボクシングのルールに関する考察

WBC世界戦の判定変更:TDからTKOへ―出血原因が勝敗を左右した一戦

3月に横浜で行われたWBC世界L・フライ級タイトルマッチ。タイの王者ノックアウト・CPフレッシュマートに日本の岩田翔吉が挑戦した試合は、8R、1分33秒にチャンピオンの出血が激しくなったため、それまでの採点によるTD(Technical Decision  負傷判定)で岩田がタイトルを奪取したと発表された。

ところが、この後、チャンピオンが4Rに出血した際に「偶然のバッティングによるもの」されていたのが、岩田の右フックによるものではないかと指摘があった。

JBCが映像で再確認した上でWBCとも協議した結果、やはり岩田の有効なパンチで出血したことが判明したため、正式な結果はTD(負傷判定)から岩田のTKO勝に変更になった。

いずれの場合でも、岩田が勝利してタイトルを獲得した結果には関係がなかったので、大事には至らなかった。しかし、正式な記録と選手の戦績等には影響する問題でもあり、改めてボクシングのルールと正確な処置について考えさせられる事案となった。

この試合は私もライブでスマホの配信動画を見ていたのだが、チャンピオンが出血したときにバッティングをしたとは見えなかったので、最初に「偶然のバッティング」と発表があったときに違和感を覚えたものだった。

4Rの中盤に両者が接近した際、岩田の右フックがチャンピオンを捉えたのは確認できたが、恐らくそのパンチで出血したものと思われた。ただ問題はこれが4Rだったことだ。周知の通り、多くの世界タイトルマッチでは4Rまでの偶然のバッティングで試合が中断した場合は、TD (Technical Draw 負傷引き分け)となる。

もし、この4Rの途中で試合が止められた場合はTD(負傷引き分け)となり、チャンピオンがタイトルを防衛することになるのだ。それまで、ポイントをリードしていたと思われた岩田にとっては、ここで試合が止められ、そのままタイトルが獲れないということになると、これはまた大問題となるところだった。

4Rが終わった後のインターバルで、チャンピオンのセコンドやドクターも傷をチェックしていたようだったが、5Rのゴングが鳴って試合が始まった段階で、TD(負傷引き分け)ではなく途中で試合が止まったら、それまでの採点で決着するTD(負傷判定)が採用されることになったのだった。

その後も、チャンピオンの出血は止まらず、結局8Rに試合はレフェリーの判断でストップとなった。すでに4Rが終了した時点で、レフェリー、ジャッジ、立会人の判断で「偶然のバッティングによる出血」、と場内にも公表されていたため、8Rに試合がストップされた段階で、TD(負傷判定)を採用することに誰からも異論は出なかった。

しかし、今回のような世界タイトルがかかっている重要な試合では、勝敗の結果を左右するような判断が必要な場合には、この時点で、もう一度チャンピオンの出血が「偶然のバッティング」によるものなのか、「岩田のパンチ」によるものなのか、を再確認する必要があったように思う。

穿った見方をするならば、4Rにチャンピオンが出血したときに、チャンピオン側がこの試合を続行しても不利になると判断して、偶然のバッティングで試合続行不可能と主張した場合には、不利な状況から意図的にTD(負傷引き分け)に持ち込んで、タイトルを防衛することだって考えられたことにもなる。

これが4Rの途中の出血だったため、すべての当事者に、咄嗟の判断が求められたことになるが、その辺りボクシングのルールを、誰がどのように判断して適応すべきかという点については、難しい問題を含んでいた事例でもあった。

実はこの件については、後日、浜田剛史さんとも電話で話したのだが、TD(負傷判定)でもTKOでも岩田の勝利は同じだったので、大きな問題にはならなかった。けれども、厳密に言えば、運営上は問題があったと認めていた。そして15連続KO勝の日本記録を持っている浜田さんらしく、もしこれが連続KOやTKOの記録がかかっているような場合だったら、もう少し現場の対応も違っていたのではないかと話していた。

それから、ボクシングのルールの中でもう一つ紛らわしいのが、試合の途中でやむを得ない理由により中止されてしまった場合である。その試合は勝敗には関係なく、NC(No Contest 無効試合)となることがある。これは特殊なケースに限られるのだが、この場合もタイトルは移動せず、試合前の状態に置かれることになる。
これも適用するには問題があることが多い。

今回JBCも、映像で再確認してWBCと協議した上で、後日この試合の結果が、TD(負傷判定)から岩田のTKO勝に改められたことにより、岩田のKO勝の数が1つ増え、KO率も上がることになった。これは、岩田にとっても良い対応であったし正しい判断だったと思う。
しかし、正式記録が変更されるまで少し時間がかかったことは否めない。

今後もこのようなケースは考えられると思うので、関係者にはチェック体制の再確認と、判断の迅速な修正も含んだ柔軟な対応を求めたいところだ。

ボクシングルールの起源:クインズベリー・ルールと近代競技の成立

こうしたボクシングのルールは一体誰が決めたのだろう。

長いボクシングの歴史の中では、様々な状況の変化に応じてルールの変更も数多く行われてきたことだろう。

現在世界中で適用されている、1ラウンド3分間で、ラウンドの間に1分間のインターバルを取るというようなルールは、19世紀のイギリスで決められたとされている。記録を調べてみると、1867年にイギリスのロンドンのジョン・グラハム・チェンバースという人がルールを定め、その保証人となった、クインズベリー侯爵のジョン・ジョルト・ダグラスの名前をとって、「クインズベリー・ルール」が決められたとされている。

そこで1ラウンド3分制、インターバル1分制、10カウントKO制、24フィート(7m32cm)の四角形のリングで戦うことなどが決められた。同時に投げ技の禁止や、ベルトラインより下への打撃の禁止なども定められていた。

ボクシングのルールはここから始まったのだった。

1867年といえば日本はまさに幕末、大政奉還が行われて江戸時代はこの年で終わり、翌年には明治維新になる年だ。まだ世の中には武士が大勢いて、ちょんまげを結っていたような時代に、イギリスでは近代ボクシングの正式なルールが決められていたのかと思うと驚きである。

判定の曖昧さとルール運用の課題:なぜ議論はなくならないのか

それから時が流れて159年目の今年。

日本でもボクシングのルールを適用する際に、TD(負傷判定)かTKOかで議論があった。こうして見てみると、ボクシングのルールを巡る世界史は、実に壮大なものだと感じてしまう。この長い長い歳月の中には、ボクシングのルールや、判定に関する矛盾、不可解な出来事など、様々なドラマがあったことだろう。

この1世紀半もの間、「クインズベリー・ルール」を頑固に守ってきたボクシングという競技も驚異的だ。この変わらないルールがあったからこそ、これだけ長く続き、そして世界中に普及していったとも言えるのではないだろうか。

これが一部の人たちによって、自らに有利なものにルールが変更されたり、またお金や欲望のために人為的に変更されたりしたら、ボクシングはこれほど広く世界中に普及していなかったのではないかと思われる。

どんな世界にも法律やルールはあるものだが、それを作る人、守る人、修正する人がいて、誰もが納得できるような公正な環境が保たれるのではないだろうか。

これからボクシングの試合を見るときには、そのような人たちの努力にも目を配って見ていきたいものである。
理事長:今村庸一

理事長:今村庸一
1956年生まれ。駿河台大学メディア情報学部名誉教授。メディア論。東京大学大学院社会学研究科卒。
放送作家として数多くのスポーツ番組の企画・構成を担当。1990年よりWOWOWエキサイトマッチの構成を10年間担当。「ワールドボクシング」にもコラムを連載するなど多数執筆。

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