「キンシャサの奇跡」とザイールからコンゴ民主共和国への国名変更
「キンシャサの奇跡」と聞けば、ボクシングファンの人ならすぐにあの試合のことだと反応するだろう。
1974年にモハメド・アリがジョージ・フォアマンをKOして世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いた
ボクシング史上でも有名な大事件のことである。その試合会場となったのが、ザイールの首都キンシャサだった。
しかし、そのザイールという国は今はすでになく、現在ではコンゴ民主共和国という国名になっている。
今年行われたサッカーのワールドカップにも、このコンゴ民主共和国が出場していたため記憶している人も多いことだろう。
この国の歴史を遡ると国名を巡る複雑な事情があることが分かる。19世紀にベルギーの植民地になったあと1960年に
独立したが、1971年に国名がザイールに改められた。これは実権を握ったモブツ大統領の独裁政権のもとで新しい国名に
なったもので、このときの国威発揚と国際社会へのアピールの一環として行われたのが、アリとフォアマンが対戦した
世界ヘビー級タイトルマッチだったわけである。
ただこの「コンゴ」という国名はさらに複雑な事情を抱えていた。コンゴにはザイールの西に隣接するコンゴ人民共和国
があり、1971年以降「コンゴ」名乗る国家といえばコンゴ人民共和国を指していた。しかしザイールでは1997年にカビラの
クーデターで政権が代わると、再び国名がザイールから「コンゴ」に変わることになった。だがその時点でコンゴ人民共和国の
正式名称がコンゴ共和国となっていたため、ザイールの新しい国名は「コンゴ民主共和国」とされるようになった経緯がある。
国名は変わっても首都はキンシャサのままだ。従って現在「コンゴ」と名のつく国は二つあり、旧ザイールの「コンゴ民主共和国」と旧コンゴ人民共和国の「コンゴ共和国」で、この両国は国旗も国歌も別々のものとなっているのだ。このようなことでコンゴの国名は複雑怪奇ではあるが、ボクシング愛好家にはあの「キンシャサの奇跡」があったザイールが現在の「コンゴ民主共和国」として記憶に留めておけばよいのではないだろうか。
世界タイトルマッチで求められる国名・国旗・国歌の正確さ
サッカーのワールドカップやオリンピックなどでは国別対抗戦になるので、国名・国旗・国歌の表記は極めて大切である。
たとえ個人競技であっても、選手たちは国を代表して戦うわけだから、自分のアイデンティティにも関わる大切なものになる。
それはボクシングの世界タイトルマッチでも同じことで、選手入場から両国国歌演奏と国旗掲揚、そして両選手の紹介のときにも必ずリングアナウンサーからどこの国の選手か各々の国名が呼び上げられる。この際、世界タイトルマッチを主催する統括団体や
コミッショナー等はもちろんのこと、ボクサーが所属しているジム関係者やプロモーターさらにはそれを伝える新聞社や放送局などのメディア関係者にも、厳正な情報確認が必要になる。
放送現場で起きた「ドミニカ」の国旗取り違え
私が放送作家時代に担当していたWOWOWエキサイトマッチでも、毎回の放送時には国名や国旗については注意を払っていたものだった。特に現地から送られてきた映像に、日本で日本語のテロップをつけたり独自のCGなどを加えたりするような場合には、担当のプロデューサーやディレクターとともに、間違いがないか毎回チェックするようにしていた。ある時、思いもしないところで間違いに気が付いたことがあった。
アメリカで行われた世界タイトルマッチで、ドミニカのボクサーが出てきたときのことだった。両選手紹介のテロップが出てくるのだが、最初は英語のものが出たあと、それに上書きするように、日本語のカタカナ表記のものになった。選手の名前も要注意だ。同じスペルでも、英語表記にするのか、出身国が中南米の場合にはスペイン語表記にするのか、その都度確認しながらやっていかなければならない。国籍や本拠地についても、一応現地から送られてきた映像と齟齬がないように、いちいち確認するようにしていた。
次に出身国と国旗を確認するのだが、その時点ではカタカナの日本語表記は「ドミニカ」となっていて、選手名の上にCGで作成した国旗が表示されていた。それを見ていたスタッフのひとりが「あれ? ドミニカの国旗、あんなんだったかなあ」と言ったので、さっそくその場で調べてみた。そうしたらドミニカの名前がついている国は「ドミニカ共和国」と「ドミニカ国」のふたつあり、CGで作成していたものは当該ボクサーのものではなく、カリブ海の人口8万人の小国「ドミニカ国」の国旗だったことが分かった。
現在ほとんどのボクサーは「ドミニカ国」ではなく、やはりカリブ海の人口900万人の国「ドミニカ共和国」の選手であり、こちらはMLBなどにも名選手を数多く輩出しているスポーツ大国でもあった。
確かにアメリカの放送では、選手の出身国を紹介するときには、単に「ドミニカ」ではなく必ず「ドミニカ共和国(Dominican Republic)」と紹介されていた。当然のことながらこの両国は国旗の色も違っていて、日本でCGの国旗を付けるにしても、こんな基礎的な間違いは許されるものではない。
ここで気が付かなければ、間違った国旗を表示してしまうところだった。幸いこの番組は生放送ではなかったので、後日、本編集のときにCGの国旗も正しいものに差し替えることが出来て事なきを得たが、普段は国名や国旗などの表示が正確に処理されているのが当たり前と思われるかもしれないが、番組の制作現場には様々なところに落とし穴があるものなのだ。
世界タイトルマッチを支える国旗掲揚と国歌演奏
国歌の演奏もボクシングの世界タイトルマッチには大切だ。
日本人ボクサーが登場するときには、日の丸の掲揚と君が代が流される。ボクサーの人生がかかった大一番を前にした、あの国旗掲揚と国歌演奏の時間。緊張感が会場全体に張り詰めた重々しいひとときが、真剣勝負の前のボクシングの魅力にもなっている。
テレビ放送は、20世紀の人類が生み出した最大の発明品のひとつだとも言われるが、まだビデオがなかった時代には、大きなイベントを現地から生中継するテレビそのものが、新しい文化を生成して、人々をイベントに同時進行で参加させる機能を持ってきたとされている。
その点で、ボクシングの世界タイトルマッチのような一大イベントが生中継され、国旗掲揚や国歌演奏のときには、会場にいる人たちだけでなく、ライブでテレビを見ている視聴者全員が、時間と空間を共有して参加しているメディア・イベントとなっているのである。
そのとき味わう緊張感や歓喜や感動などは、人類が生み出したテレビというメディアが出現したから体験することができることだとも言えるのだろう。その儀式に視聴者全員が「参加」しているわけだから、その儀式の厳粛な環境を実現するためには、やはり国名や国旗や国歌は、ボクシングにとっても重要な小道具であるのではないだろうか。
ボクシングと国歌がもたらす高揚感
ところで国歌にもいろいろある。
日本の「君が代」は世界の国歌の中では楽曲としてはとてもユニークな曲で、あのまったりとした時間の中に、悠久の日本の歴史が感じられるような曲でもある。世界の国歌をいろいろ見てみると、比較的アップテンポの曲が多く、その中には勇敢に国の誇りを表した行進曲がよく使われている。
星条旗を称えるアメリカ国歌、神が国王を称えるイギリス国歌、革命の成功を高らかに祝うフランス国歌など、それぞれの国歌には個々の国の奥深い歴史や文化が織り込まれている。
ボクシングの世界タイトルマッチの直前に流される国歌は、改めて国を代表して戦う戦士たちに愛国心を感じさせ、高揚感をもたらすのだろう。遠い異郷の地までやってきて、世界タイトルをかけて戦う前のボクサーが、国旗に向かって国歌を歌う姿は、いつ見てもいいものだ。
そこが、世界タイトルマッチとそれ以外の試合との一番大きな違いなのかもしれない。
プエルトリコの州歌を巡る前代未聞のハプニング
その世界タイトルマッチの国歌だが、実は以前大変な大失態に繋がりかねない出来事があった。
すでに30年以上も時が経っているのでもう時効になった話なのではあるが、今から思い返してみても、ちょっと考えられないような状況になったのであった。
その年、東京でプエルトリコのチャンピオンに、日本人が挑戦する世界タイトルマッチがあった。その試合を生放送するテレビ局から私も招待されていて、試合が行われる会場は午後6時から開場することになっていた。
当日、私は他の仕事で都内の会議に参加する予定が入っていて、その仕事を済ませてから試合会場に行くつもりでいた。
電話がかかってきたのは、その日の昼過ぎのことだった。この日のボクシングを担当しているプロデューサーからだった。
何やら慌てている様子で、折り入って相談したいことがあると言う。私も会議に出かける直前だったので、できれば翌日以降にしてほしいと思ったものだが、どうやらそんな悠長なことではないらしい。これから数時間後に行われる世界タイトルマッチの件で、困ったことになったと言う。
とにかくどうしようもなくなって私に相談してきたようだったので、事情だけでも聞いてみることにした。
そのプロデューサーはSさんと言った。本人も屈強なスポーツマンで、学生時代は早稲田大学のラグビー部の花形選手でもあり、テレビ局に入社したあとも精力的に仕事をこなして、決して人前では弱音を吐かないような人物だった。
そのSさんが電話口で泣きだすような消沈した声で言った。
「今村先生、どうしましょう。どこを探しても国歌が見つからないんですよ。試合が始まるまで、あと数時間しかありません。どうしたらいいでしょうか・・・。」
いきなりのことだったので意味が分からず、どういうことなのか聞き返した。
「国歌? どこの? どこの国の国歌を探してたんですか? 」
「いやー、参りましたよ。うちのCDやレコードやテープが収納されている音声ライブラリーを全部当たってみたんですが、どうしても国歌がないんです。どうなっているんでしょうか。困りましたよ。世界の国歌全集という音源があるんですが、その中にも入っていないんですよ。」とS氏。本当に途方に暮れているような様子だった。そこで私はもしかしてと閃いて尋ねた。
「それはそれは、大変でしたね。その国歌というのは、もしかするとプエルトリコの国歌のことですか? 」と私。
「あ、そうです、そうです ! そのプエルトリコの国歌ですよ ! 今日これから試合をするチャンピオンの国歌ですよ。」とS氏。
私は思わず可笑しくなって言った。
「Sさん、それは世界の国歌全集にはないはずですよ。プエルトリコは国じゃないって、知ってましたか? 」
しばらく短い沈黙があったあと、驚いたようなSさんの声がした。
「えっ ! あっ、そうかあー ! プエルトリコは国ではなかったんですね。」
「そう、これはよく間違えるんだけど、プエルトリコは独立した国家ではなくアメリカの一部ですよ。同じカリブ海のキューバやハイチやドミニカ共和国は、いずれも国家として主権を持っているけれど、プエルトリコは国ではありません。19世紀末の米西戦争でスペインからアメリカの植民地になって、その後もアメリカの州に準じる準州という扱いになっています。それで主権国家にはなっていないんですよ。」
「なるほど・・それでどこを探しても見つからなかったんですね。」
「そうだと思います。ご苦労様でした。しかし主権がないといっても、プエルトリコはオリンピックや世界陸上などの大きな大会には独自の州旗と州歌を使用することが認められていて、ボクシングの世界タイトルマッチでもこれを使っているはずです。旗の方は大丈夫ですか ? 」
「旗は大丈夫です。アメリカの星条旗とは別のプエルトリコの旗を用意して、会場に準備してあります。」
「それは良かった。旗はいいとして、時間もあまりありませんが、ではプエルトリコの州歌はどうしますか ? 」
「そうですねえ、何かいい方法はありませんかね。今から大使館に電話をかけて、プエルトリコの州歌を電話口で歌ってもらって、それを録音して会場に流すというのはどうでしょうか。」
「いや、今から音源を探すのも大変でしょう。しかも電話回線を使って録音するとなると、音質もかなり悪くなるでしょうから、これから試合会場に持って行ってそれを流すとなると、悲惨なことになりそうですね。」
「そうですよねえ。困ったなあ。どうしようかなあ・・・。」
州歌探しとの時間との戦い
プエルトリコが国家ではないということが分かって一息ついてのも束の間、今度はプエルトリコの州歌を準備しなければならず、問題は解決していないことに気づいたようだった。
とにかく時間が切迫していた。私ももう会議に出かけなければならない時間になってきていた。何か善処策はないものだろうか。CDやレコードやテープでなくても、プエルトリコの州歌の音を手に入れる方法はないものだろうか。これさえ手に入れば、何とか急場を凌ぐことができるわけだ。
プエルトリコの州歌の音ね・・。
そうだ、もしかすると過去のボクシングの試合の中に、プエルトリコの歌が入っているものがあるかもしれない。ほかの番組で放送された音源を持ち出してきて、異なるイベントや放送で使用するのは厳密にはルール違反だが、この際そんなことに構っている場合ではないだろう。全ての責任はSプロデューサーがとることを条件にして、私のところにある海外で行われたボクシングの試合にプエルトリコの選手が出ているテープに「プエルトリコの州歌」が入っているものがあるはずだ。それを何本か出してきて、その中からプエルトリコの州歌が使えるようなものがあれば、大急ぎでダビングして、午後6時の開場か、あるいは生放送が始まる午後7時30分までに間に合わせれば、物理的には何とかなりそうだった。
ただ、それをやるにしても問題はまだまだあった。
私はこれから家を出るので、テープのどの部分にプエルトリコの州歌があるのかは分からない。その頭出しをしている時間的余裕は私にはない。それからこのテープを届けるにしても、私自身は暫くほかの仕事の会議に出ているので、どこかでそのテープを確実にS氏に手渡さなければならない。時間も迫っている。正に1分1秒を争う時間との戦いを突破しなければならない。限られた時間の中で、この日の午後は壮絶な「プエルトリコの州歌」を巡る戦いに挑むことを覚悟しなければならなくなったのであった。
開始直前、祈るような思いで迎えた国歌演奏
それから約1時間ほどして、私が出席していた会議室にその日のボクシング担当のADさんが訪ねてきて、私が持参してきたテープを受け取り帰って行った。
その後のことは、私はよく知らない。仕事が押していたので、予定より遅くなってしまい、私がボクシング会場に到着したのは、午後7時過ぎのことだったと思う。会場にはいつもと変わらず大きな日の丸とプエルトリコの旗があった。世界タイトルマッチを前にした独特の緊張感も、いつも通りだ。いよいよ両選手が入場曲に合わせて入場しリングに上がった。これもいつも通りだ。そのあと私から受け取ったテープが、Sプロデューサーにきちんと届いたのかどうかも分からない。そのあとちゃんとプエルトリコの州歌の部分の頭出しはできただろうか。もしかして間違った部分をダビングして、本番で大失敗することになりはしないか。日本人の観客ならそれが間違った曲であったとしても気がつかないだろうし、プエルトリコの州歌を知っている人などまずいないだろうから、その場は何とか誤魔化せるかもしれないが、プエルトリコのチャンピオンやトレーナーからすれば、日本まで来て全く違う曲が流されたとなると気分を害するだろうし、それを口実にして試合をボイコットすることだってあるのではないか・・。
そんなことをいろいろ考えているうちに、リングアナウンサーの声がかかった。
「これより、両国国歌を演奏します。恐縮ですが、ご起立の上、両国国旗の方に、ご注目ください。」
いやいや、これほど緊張した両国国歌演奏も初めてだった。まずは挑戦者の「君が代」から。こういう時ほど、「君が代」のまったりした曲が重苦しく聞こえる時はない。「君が代」は日本の悠久の営みを称える歌とされているが、演奏されている時間は私には悠久の時間のように、長く長く感じられた。
「続いて、チャンピオン、プエルトリコです。」
いよいよだ。会場にいる誰も、そして今テレビを見ている視聴者の誰も、この数時間の「プエルトリコの州歌」のための壮絶な闘いがあったことは知らないだろう。とにかく無事に終わってほしい。何事もなく時間が過ぎていってほしい。まだ試合が始まる前だというのに、本当に祈るような思いで過ごしていた。
誰にも知られなかった放送現場の舞台裏
短い沈黙があったあと、会場のスピーカーから音楽が流れてきた。
どこかで聞いた覚えのある曲だ。そうだ、これが「プエルトリコの州歌」だ。間違いない。あのあと、私のテープがADさんからSプロデューサーに渡って、この短い時間の中で「プエルトリコの州歌」の部分の頭出しをして、この会場で使えるようにダビングして、今音声スタッフの手でそれが再生され、さらには全国のボクシングファンの人たちが、テレビでこの「プエルトリコの州歌」を聞いているのだ !
よくやった ! よくやったよ ! この限られた時間の中で、この厳しい条件の下で・・。本当に、よくやったよ! こんなこと、誰も知らない。私しか知らない。これは私とSプロデューサーだけが知っていればいいことだ。この日のことは、ずっと胸の内にしまっておくことにしよう。いつか、私がボクシングの国歌のエピソードを書くような日が来るまで・・・。
そんなことを思いながら、その日の世界タイトルマッチを眺めていたのだった。

世界チャンピオン会 顧問:今村庸一
1956年生まれ。駿河台大学メディア情報学部名誉教授。メディア論。東京大学大学院社会学研究科卒。
放送作家として数多くのスポーツ番組の企画・構成を担当。1990年よりWOWOWエキサイトマッチの構成を10年間担当。「ワールドボクシング」にもコラムを連載するなど多数執筆。

