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#13 今村庸一のボクシング・アカデミー:ガッツ石松さんと見た永遠のデュラン戦

名勝負をもう一度

中野区鷺宮にあるガッツ石松さんの自宅兼事務所を訪れたのは、1993年の秋のことだった。

その年の11月、東京で行われるWBA世界スーパー・バンタム級タイトルマッチ、ウィルフレド・バスケスvs横田広明の試合がテレビ東京から生放送されることになっていたのだが、担当のプロデューサーから連絡があり、試合が早く終わってしまったときのために何か企画を考えてほしいという依頼があった。

いい機会なので、過去にテレビ東京が放送したボクシングの名勝負を探してきて、本人にその試合を見てもらいながらインタビューしてはどうかと提案した。一般家庭にはまだビデオがなかった1970年代の映像は、その後も再放送されていないものも多く、私自身もう一度フルラウンド見てみたい試合もあった。

それで過去の名勝負の試合をリストアップして、その映像が残っているかどうか調べてもらうことにした。

テレビ東京とボクシング中継

テレビ東京は、現在では「テレ東」の名で呼ばれているが、元々は科学を中心とする教育教養番組を専門とした局で、1964年の開局時には日本科学技術振興財団テレビ事業本部といういかめしい名前がついていた。

1973年から日本経済新聞社が本格的に経営に参加するようになり、「東京12チャンネル」の名称で呼ばれるようになり、この年から一般総合編成の番組を提供するテレビ局となった。その後、1981年には「テレビ東京」と社名が変更されることになる。

私も放送作家時代に、テレビ東京では主に報道情報番組や経済番組の特番などを担当したのだが、1990年代になってWOWOWでエキサイトマッチの構成を担当するようになると、スポーツ局のボクシング担当者からもいろいろと相談を受けることがあった。

スポーツ局は比較的若いスタッフが多く、テレビ東京が過去に放送したボクシングの試合を知らない者ばかりだったので、どんな試合があったのかを知るために私に聞くのが手っ取り早いということになったらしい。

その中で私が推奨した試合のひとつが、1973年にパナマで行われたWBA世界ライト級タイトルマッチ「ロベルト・デュラン 対 鈴木石松(後のガッツ石松)」の試合だった。

「石の拳」ロベルト・デュラン

この当時、私もパナマの「石の拳」ロベルト・デュランの名前は専門誌でも見ていて、どんな選手なのか実際の映像を見たいものだと思っていた。そのデュランに日本人の鈴木石松(ガッツ石松)が現地パナマで挑戦し、しかもそれが東京12チャンネルで生中継されるというのだから、ボクシングファンにとっては夢のような話だった。

ロベルト・デュランについては、ここで改めて説明する必要もないだろう。

とにかくその当時からパナマにとてつもないボクサーがいるということで、毎月のボクシング誌に大きく取り上げられているほどであった。1967年のプロデビュー後、連戦連勝・連続KO勝ちを続け、1972年にプロ31戦目でケン・ブキャナンをKOしてWBA世界ライト級タイトルを獲得。

そのあとも精力的に試合をこなし、1973年に鈴木石松(ガッツ石松)と対戦した時点では、40勝1敗32KO勝という驚異的な戦績を誇っていた。日本人との対戦ではWBA世界スーパー・フェザー級タイトルを6度防衛した小林弘と対戦し、5R、KOに下していた。そのデュランの試合が生中継で見られる。まだ一般家庭にビデオがなかった時代、とにかく一瞬でも見逃すまいとして試合の日が来るのを待ちわびていたのだった。

ガッツ石松というボクサー

ガッツ石松さんについても触れておこう。

石松さんは1974年、つまりパナマでデュランに挑戦した翌年に、東京でWBC世界ライト級王者のロドルフォ・ゴンザレスをKOして世界チャンピオンになったことはよく知られている。あの縞(しま)のカッパに三度笠のトレードマークや、対戦相手から見えない「幻の右」などが有名だが、引退後にはタレントや俳優としても派手に活躍されていたので、むしろそちらのイメージが強くなった感は否めない。

ボクシングの世界では強豪が犇めいているライト級で、日本人ボクサーとして初めて世界タイトルを獲った実力者であり、日本ボクシングの歴史の上でも希少な存在であった。

石松さんの本名は鈴木有二といい、ヨネクラジムに所属していて、初期の頃は「鈴木石松」でリングに上がっていた。プロデビューが1966年。その翌年の戦績が5勝3敗1分というのだから、決していいものではなかった。

しかし1970年、まだ21歳のときに、日本タイトルも東洋タイトルも持っていなかったにもかかわらず、当時のWBA世界ライト級王者イスマエル・ラグナにパナマで挑戦し、13RにKO負けしたものの、大健闘して存在感を示していた。同年には日本で元世界王者のライオネル・ローズ、レネ・バリエントスと対戦していて、ともに10R判定で敗れているが、ここでも早い段階で世界の強豪たちとグローブを交えているのは特筆に値する。

運命を変えた門田新一との二戦

このライト級では、日本の最大のホープは東洋チャンピオンだった、強打のサウスポー・門田新一だった。1971年に鈴木石松は門田の持つ東洋ライト級タイトルに挑戦するが、門田の強打に屈して8R、KO負け。世界タイトル獲得の可能性があるのは、石松ではなく門田だと、誰の目にも映っていたはずだった。

しかし、この両者は5カ月後に再戦したところ、今度は石松が距離を取ってカウンター戦法に徹してポイントを重ね、12R判定勝で見事に門田から東洋ライト級タイトルを奪取したのだった。

私はガッツ石松さんのキャリアの中で、この門田新一との2試合が大きかったと考えている。その前に対戦したラグナ、ローズ、バリエントスの世界王者たちと戦ったのも大きな経験であったが、強い相手に勝つための戦略や方法などを、早い段階で実際に身につけることができたのは、この門田と対戦した東洋タイトルマッチにあったのではないかと思われる。

1974年に東京でゴンザレスに挑戦したときには、リングネームが鈴木石松からガッツ石松になっていたが、その時点ですでに9敗もしていて、世界チャンピオンになるようなボクサーには見えなかった。しかし、石松さんのキャリアの中では敗戦のすべてに意味があり、その中でもパナマでロベルト・デュランに挑戦した試合は、その後の石松さんのボクシング人生にとっても、かけがえのないものだったのではないかと思われるのだ。

20年ぶりによみがえったパナマ決戦

ガッツ石松がロベルト・デュランと対戦してから20年。そのときの映像がどこかに残っていないか探すことにした。

当時のテレビ東京は虎ノ門に局舎があり、スポーツ局は意外に狭いスペースに収まっていた。番組に使用するための資料やテープなどを保管しておく場所も限られていて、過去の膨大な映像資料を管理している場所は見当たらなかった。

かつてボクシング番組を担当していた年輩の人に尋ねてみたところ、古い素材は本社にはなく、宇都宮の近くにある倉庫にあるかもしれないということだった。早速スタッフに現地まで行ってもらい、1970年代に放送されたテープがあるかどうか調べてもらうことにした。

そうしたら驚いたことに、スポーツに限らず放送済みのテープは1インチテープというリール式の状態で、埃を被ったまま収納されているとのことだった。当時、どこのテレビ局でも過去の貴重な映像資料の管理は杜撰(ずさん)なところが多かったのだが、もうほとんど使用されなくなっていたリール式の1インチテープで保管しているとなると、それを再利用するには専用のデッキがある編集スタジオに持っていかなければならないので、事実上放置されていることが多かった。

その古いテープの中にボクシング関連のものが含まれていて、スタッフの話によると、丸一日かかって探さないと見つけ出せない状態だったという。

その中に、それはあった。

1973年9月8日にパナマで行われたボクシングの世界タイトルマッチ2試合。WBC世界フェザー級タイトルマッチ、エルネスト・マルセル対スパイダー根本と、WBA世界ライト級タイトルマッチ、ロベルト・デュラン対鈴木石松の生放送時のテープがあった。

その当時はVHSなどの家庭用ビデオはまだなく、業務用の機材がない限りこの映像を録画することは不可能だったはずなので、恐らくこのテープは20年間、この場所に保管されたまま誰も触れたことがなかったものと思われた。もしこの企画がなければ、もしかすると永遠に日の目を見ることはなかったかもしれない。

おかげで瓦礫の山の中からお宝を掘り当てたような気になったものだった。

さっそくVHSにダビングしてもらって試写してみた。いきなり懐かしい声が出てきた。ボクシングファンならお馴染みの杉浦滋男アナウンサーの実況、そしてカミソリパンチで知られた海老原博幸さんの解説。20年の時を経てタイムカプセルを開けたら、パナマの超満員のボクシング会場にワープしたような気分がした。

テープは選手入場から始まっていて、早速、石松さんのあの縞(しま)のカッパに三度笠が目に飛び込んできた。

これは本人に見せたら、きっと喜んでくれるだろうと思った。

鷺宮でのインタビュー

ガッツ石松さんの自宅兼事務所は中野区鷺宮の瀟洒な一軒家にあった。この時点で石松さんは現役を引退してから10数年が経ち、すでにタレントや俳優として有名人になっていたのだが、マネージャーの人の案内で広い応接間に通され、そこでビデオを見ながら私が聞き手になってインタビューを収録することになった。

石松さんは、バラエティ番組などでは大袈裟な冗談を交えて派手なパフォーマンスをすることも多いのだが、やはり自分のボクシングの話となると真剣な表情で応対してくれた。

20年前のパナマでデュランと対戦したときのこともよく覚えていて、その試合の映像はダイジェストで一部は見たことがあるけれども、テレビ東京が放送した日本語の実況が入っているフルラウンドの映像を見るのは初めてだと言っていた。

石松さんの話。

「あの試合はね、とにかく減量がきつくてね、試合まで一週間くらい飲まず食わずだったんですよ。もうさっさと負けて早く帰ろうと思ってたんだけど、せっかくパナマからテレビでも中継してくれるし、みんなが見ているから、リングに上がったら、よし頑張ろうという気持ちが出てきたんですよ。」

そう言いながら、さっそく一緒にビデオを見ることにした。

「確信の左」が生まれた瞬間

カリブ海と太平洋を結ぶ大運河がある国パナマ。ここではロベルト・デュランは国民的英雄である。

試合会場の国立新体育館のリングにデュランが登場しただけで、詰めかけた18,000人の熱狂的な声援が寄せられる。

この試合は両選手ともグローブは鮮やかな黄色で、トランクスはデュランが深い緑色、石松はグローブと同じ黄色だった。デュランにとってこの試合が3度目の防衛戦。世界ランク8位の24歳の鈴木石松は、3年前にイスマエル・ラグナに挑戦して以来、二度目の世界挑戦になる。

1Rが始まった。

左ジャブを連発して突進するチャンピオンのデュラン。挑戦者は距離を取りながらカウンターを狙う展開になった。

「強引ですね、チャンピオンは! バンタム級のオリバレスのような選手ですね。」

と解説の海老原さん。

実況の杉浦アナからは、

「東京にいる10カ月のお嬢さんと奥さんに『お父さんは必ず世界タイトルを持って帰るからねと伝えてください』と石松が言っていました」

とコメントが入る。

7,000キロの太平洋を越えて、今まさにパナマで行われている試合がライブで伝えられている緊迫した実況が、そのまま再生されていた。

20年前の試合を見ながら石松さんが言った。

「デュランのパンチ、やっぱり強かったねえ。連打が止まらないんですよ。最初は我慢してたんだけど、だんだんボディが効いてきちゃってね。それでも、4Rだと思うんだけど、一発、俺の左フックが当たったんですよ。一瞬デュランの動きが止まって、後ろに下がったんですよ。そのシーンありますかね。」

石松さんの記憶は正確だった。

4Rの中盤になったところで、接近戦から石松の放った左フックがデュランを捉え、大きくのけぞったシーンが出てきた。

「あっ、そこ、そこ。ちょっと止めて、もう一度見せてもらえますか? あの左ですよ。」

石松さんはそう言いながら、4Rに放った左フックの場面を改めて確認しながら言った。

「デュランとの試合は完敗だったけれど、あの左フックが当たった瞬間だけ、俺は世界一になったと思いましたよ。あのパンチが当たったことで、次は確実に世界タイトルが獲れると思いましたね。あれがあったから次の年にゴンザレスをKOしてWBCのタイトルを獲ることが出来たんじゃないかと思いましたよ。そういう意味で、4Rにデュランを捉えた左フックは俺にとって『確信の左』と言えると思いますよ。」

このパンチのあと、怒ったようにデュランが猛攻を仕掛けてきた。

強烈な左右のパンチの連打が容赦なく石松を襲う。次第に後退してロープを背負うことが多くなった。

迎えた9R、ボディへの連打で二度のダウンを喫し、10Rにはデュランの執拗なパンチを受けて三度ダウンして試合終了。

最後は自分から崩れるようにパナマのマットに沈んだ。

世界王者への原点

この映像をしばらく黙って見ていた石松さん。いろいろなことを思い出したのだろう、悔しさもあってか、独り言のようにつぶやいた。

「あーあ、だらしねぇなあ。本当はもっと頑張れたのに、これ以上やっても勝てないから、自分でダウンしたようなもんなんだよなあ。でもね、この試合でデュランにはこてんぱんに負けたけど、あの4Rの左フックで自信もついたよね。今でも左の拳にあのパンチの感覚は残っていますよ。あれがあったから、その翌年、俺は世界チャンピオンになれたと思っていますよ。今日は初めてデュランとの試合をじっくり見ることができてよかった。ありがとうございました。」

そう言いながら、私にも20年前の感覚が残っているという「確信の左」の拳を見せてくれた。

私にとっても忘れられないインタビューとなった。

そして33年後――

それからさらに33年の歳月が流れた。

2026年6月2日。

奇しくもこの日、水道橋の東京ドームホテルでガッツ石松さんが初代会長を務めていた世界チャンピオン会のパーティーが盛大に行われていた頃、WBC世界ライト級王座を獲得し、5度の防衛を果たしたガッツ石松さんは静かに旅立った。

享年76。

1973年にパナマでロベルト・デュランに挑戦した試合と、それを生中継したテレビ東京の映像は、多くのボクシングファンの胸に今でも深く刻まれている。

改めて、ご冥福をお祈りしたい。

合掌。
理事長:今村庸一

世界チャンピオン会 顧問:今村庸一
1956年生まれ。駿河台大学メディア情報学部名誉教授。メディア論。東京大学大学院社会学研究科卒。
放送作家として数多くのスポーツ番組の企画・構成を担当。1990年よりWOWOWエキサイトマッチの構成を10年間担当。「ワールドボクシング」にもコラムを連載するなど多数執筆。

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