#16 今村庸一のボクシング・アカデミー:エディ・タウンゼントと井岡弘樹のドキュメンタリー
#16 今村庸一のボクシング・アカデミー:エディ・タウンゼントと井岡弘樹のドキュメンタリー
エディー・タウンゼントと井岡弘樹
ドキュメンタリーを見る人、作る人、評価する人
テレビ番組の中でもドキュメンタリーほど不思議なものはない。
ひとりの人物を追いかけるヒューマンドキュメンタリーもあれば、国家や戦争などの壮大なテーマを描くドキュメンタリーもある。テーマがどんなものでも、1時間前後のテレビ番組という枠の中で映像と音声で表現されるところに不思議な魅力があるのだろう。私も子供の頃からドキュメンタリーは数多く見てきたが、ドラマやエンタメとは違って、優れたドキュメンタリーは、いつまでも心に刻まれているものが多かった気がする。
放送作家になって、今度は番組を制作する立場になると、ドキュメンタリーを作る側に立って考えながら見るようになった。この映像を撮るにはどんな準備が必要だったのか。インタビューをする場合にどんな仕掛けをしたのか。ナレーションやBGMなどの音の演出をするにはどんな工夫が込められているのか。そんなことを考えながらドキュメンタリーを見ると、視聴者にはなかなか分からないような隠し味が効いていることがあって、優れた番組には、一流のプロが高度なテクニックを駆使しながら番組を作り上げていくプロセスが見えてくる。これはまた一段と興味深いものになるのだ。
その後、私は放送批評懇談会の理事や編集委員になり、ギャラクシー賞や民放連賞の選奨委員を務めることになった。今度は優れた報道番組やドキュメンタリー番組の数々を見て、専門的な立場から番組を評価しなければならない。これはなかなか辛い仕事だ。個人的に好きというだけで評価してはいけない。どこがどういう点で優れているか評価し、最終的には複数の意見を集約させて優劣を決めなければならないのである。その作品が受賞作になるかならないかでは、番組を制作した当事者の人生も決めかねないことなので、選奨作業はとても大きな責任を伴うのだ。上位に残った力作には、全員に受賞させてあげたいと思うのは山々なのだが、コンペティションである以上は最後は非情な決断を下さなければならないこともある。こういうときには、ボクシングの世界タイトルマッチで、僅差の判定を下さなければならないジャッジの人たちも、同じような思いをしているのではないかと考えたりもする。ドキュメンタリー番組は見て楽しむ人、何カ月もかけて番組を制作する人、そして複数の作品を見て評価しなければならない人。それぞれの立場で番組の印象も違うし意味も違うのだろう。いいドキュメンタリーというのは、何年経っても強烈な記憶として残っていて忘れられない番組で、そういう作品は誰にでもあるのではないだろうか。
エディさんと井岡弘樹のドキュメンタリー
私の記憶に強く残っているものにエディ・タウンゼントさんと井岡弘樹を追ったドキュメンタリーがある。
1987年11月に関西テレビ(フジテレビ系)で放送された「エディとチャンプ ~ 老トレーナーの熱い闘い」である。このドキュメンタリーはエディさんと井岡弘樹を追いかけた番組ではあったが、もう少し詳しく見てみると番組制作者の立ち位置やエディさんとの距離感、そして老トレーナーと若き世界チャンピオンをドキュメンタリー番組として描く表現方法もなかなか凝っていて、改めてみるととても興味深いものである。
この当時、私はオフィス・トゥー・ワンに所属していた放送作家で、報道情報系、スポーツ系、ドキュメンタリー番組等の企画・構成を担当していて、寝る暇もないほどの激務と時間に追われる毎日を過ごしていた。そのため、他局で放送される番組も、優れたものは少しでも参考にするために録画して勉強したものだった。当時からボクシングはテレビで放送される試合はほとんど見逃さずに見ていたし、世界タイトルや世界チャンピオンの動静などもボクシング専門誌を毎月チェックしていた。その中でもボクシングを題材にしたドキュメンタリーは特に注目していて、番組コンセプト、取材方法、カメラアングルや撮影技術、音声処理の方法、そしてナレーションやBGMなどの音響効果など、同業者がどういう仕事をして番組制作に当たっているのか関心を持ちながら見ていたのだった。
エディさんについては前回のコラムでも取り上げたが、1983年から大阪のグリーンツダジムに行っているという情報は知っていた。大阪に行ってしまうと、もう後楽園ホールに来ることもないだろうし、もう会うこともないかも知れないと思っていたのだった。そのエディさんが指導していたのが、当時まだ18歳の井岡弘樹で、エディさんにとっては6人目の世界チャンピオンを目指しているという。どこまで本気なのか分からなかったし、目標としているのが新設される最軽量級のストロー級(現ミニマム級)とのことで、まるで雲をつかむような話でもあり、正直半信半疑に受け止めるしかなかった。
結果を知ったのは1987年10月18日、試合当日の夜のスポーツニュースだった。
大阪で行われたWBC世界ストロー級王座決定戦で、18歳の井岡弘樹がタイのマイ・トンブリフラムを判定で下し、プロ9戦目で日本史上最年少世界チャンピオンになったというものだった。ニュースでは一瞬、井岡とともに肩車をされて喜んでいるエディさんの姿も写っていた。ああ、本当にやったんだな。これで6人目の世界チャンピオンを育てたんだな。よかったなあ。そんなことを思いながら、73歳になったエディさんのことを思い出していた。そしてここに至るまで、エディさんと井岡の間にどんなことがあったのか、知りたいと思ったりしたのだった。
「エディとチャンプ ~ 老トレーナーの熱い闘い」(1987年 関西テレビ)
それから1カ月ほど経った深夜に、フジテレビ系列局が制作したドキュメンタリーを放送する枠があり、そこで関西テレビ(KTV)制作の番組「エディとチャンプ ~ 老トレーナーの熱い闘い」が放送された。これは関西の準キー局である関西テレビが制作したもので、大阪のジムから誕生した、18歳の世界チャンピオンとその老トレーナーのエディ・タウンゼントさんの世界タイトル獲得までの日々を描いたものだった。
このときエディさん73歳、井岡弘樹18歳。老人と孫ほど年齢の違うふたりを追いかけたドキュメンタリーだった。
実はテレビ番組の中でもドキュメンタリーほど採算が合わない番組はないとされている。事前に計画を立てて取材や撮影や編集のスケジュールを考えても、計画通りにはいかないことが日常茶飯事に起こる。また優れた番組を作るためには、膨大な時間と労力を要することになるのだが、数カ月の時間をかけて100時間分の映像を収録しても、そのうち実際に放送されるのは1時間以下になるわけだから、残りの99%以上の映像は放送されることなく、経費がかかる割には極めて無駄の多い番組であることは確かなのだ。それからどれだけ時間と労力をつぎ込んでも、テーマによっては視聴率が取れるようなものではなく、いい番組が完成する保証はどこにもない。このような厳しい条件の下で、ドキュメンタリーの制作者たちは日々苦悶しながら番組制作をしているわけだ。一生懸命やってもなかなか報われないのがドキュメンタリーでもあるが、そうした中でも年に何本かは同業者として瞠目に値するような作品に出合うことがある。一般の視聴者にとっては放送され、結果が全てだが、その番組がどのように企画され取材・撮影・編集を経て完成して放送されるまでのプロセスを考えながら見ていくと、番組の値打ちが改めて見えてくることがある。
ジャズとブルースとナレーション 絶妙な音のテクニック
番組の冒頭は大阪の近畿大学記念会館。
18歳の井岡弘樹が世界タイトルマッチのリングへ向かって歩いているシーンから始まっていた。いよいよ人生を賭けた大舞台に向かう少年の不安に満ちた表情が写される。次の瞬間、少年は急に周囲を見渡して肝心の人が見当たらないことに気づく。「エディさん? あれ、エディさんは?」必死にトレーナーを探す18歳の世界ランカー。次の瞬間、通路の奥から一人の小柄な老人が出てくる。エディ・タウンゼントさんの登場だ。「さあ、行きましょう。」少年と老人は大歓声が聞こえてくる光あふれるリングへと向かって行った。
ここまでがオープニングだ。そして音楽とタイトル。まるで映画を見ているようなオープニングだった。そして舞台は数か月前に戻る。大阪市西成区天下茶屋。大阪の中でも比較的貧しい住宅街にグリーンツダジムはある。ボクシングジムとしては規模も小さく、リングも広くない。ここがこの番組のエディさんと井岡弘樹がトレーニングしている舞台である。ジムに入るとそこはまるでディスコのようなけたたましい大音響の音楽が流れていて、18歳の井岡が音楽のリズムに合わせて躍動している。大音響の音楽に耳を塞ぐような仕草をして顔をしかめるエディさんがいる。何しろ55歳も年齢が違うのだ。このふたりが同じジムでトレーニングしていること自体が、やや奇妙でミスマッチのようにも見える。
そこからエディさんのプロフィールの紹介に入る。日系二世としてハワイで生まれたこと。戦後、力道山と出会って日本に来たこと。これまで海老原博幸、藤猛、柴田国明、ガッツ石松、友利正の5人の世界チャンピオンを育てたこと。そして5年前に大阪に来て、6人目の世界チャンピオンを目指して18歳の井岡弘樹を見ていることなど。エディさんのボクシングトレーナー人生が語られる。
この番組を通して感心させられたのが、ボクシングという男の世界を描きながら、実に柔らかい印象にするためにセンスある音楽と、温かみのあるナレーションにしてあることだ。エディさんのプロフィールの場面では、ミュートの効いたトランペットと、ラグタイム時代のピアノによるジャズのブルースのメロディが使われる。それだけで優秀なボクサーを求めて渡り歩くジプシートレーナー、エディ・タウンゼントのどこか切ない哀愁を帯びた放浪の旅が伝わってくる。そしてナレーションは女優の藤田弓子さん。あの温かみのある声で、エディさんの人となりが優しく語られる。これがトランペットとピアノのブルースと合わさって、独特の雰囲気を出している。やはり東京とは違った関西の気質なのだろうか、ヒューマンドキュメンタリーを作る側にも独特の味がある。
次に一気にアップテンポの4ビートのスウィングに変わる。井岡弘樹の練習風景だ。屋外を疾走するロードワーク、サンドバックやミット打ちの連打を続けるジムワーク。緊張感が増すジャズのビートで、世界タイトルマッチが近づいてきたことが示される。
エディさんと井岡が同居する共同生活
エディさんは東京に家族を残して、大阪には単身赴任の生活である。一年半前に大腸のポリープを除去する手術をしていて毎週病院へ通っている。少し歩くだけでも疲れやすくなっているのだ。普段はグリーンツダジムに隣接しているマンションに、井岡と一緒に暮らしている。洗濯するときは、ひとりで近くのコインランドリーに通う。
エディさんは言う。
「はっきり言ったらね、(体の)調子があまりよくないの。これでもし負けたら、はぁーと力が抜けてしまう。でもね、これはね、夢。僕の夢。最後まで、あのリングの中に入っていくの。頑張るの。最後までね。」最後はガッツポーズをして目を輝かせた。
そしてまたブルース。大阪・天下茶屋の下町のコインランドリーで洗濯物ができ上がるのを待つ73歳のエディ。どこか切ない風景に藤田弓子さんの優しいナレーションがフォローする。
~Na 「ハワイから力道山に呼ばれて日本に来たのが48歳のとき。いい選手がいれば、どんなジムにでも出向いていく。こんな生活がもう25年も続いています。大したお金もたまらず、ボクシングしか知らないエディ。渡り歩いたジムは15を超え、いつしかジプシートレーナーと呼ばれるようになってしまいました。・・・」
試合が迫ってきた。井岡の練習も最後の総仕上げに入った。18歳の少年は確かに天才だった。エディさんが教えたことを、こんなに早く身につけるボクサーは初めてだという。エディさんは井岡にインサイドに入って左45度の角度から相手のレバーに打ち込むボディブローを伝授した。これで攻撃力が上がる。最後の練習にも熱が入る。エディさんは全ての練習が終わると、井岡を抱きかかえ、目と目を合わせながら笑みを浮かべて言った。
「よし、イオカ ! 長い間、あなた、ほんと頑張った。よくやりましたよね。」汗まみれの井岡も返す。「先生のおかげです。ありがとうございました。」
3年間、老人と少年は、毎日のように苦楽をともにしながら、ここまでやってきた。もう世界タイトルを獲るまでやることはない。やれることは全てやった。ふたりの間には、それに対する満足感と安心感が湧きだしていた。この瞬間のふたりだけの笑顔と言葉を捉えたのも、このドキュメンタリーの貴重な記録になっている。
そして試合の前夜、灯りが消えた誰もいないジムのリングでエディはつぶやく。
「だいたい3年ね。ここまで来て、(井岡のボクシングを)見て、見て、見て、ここまで来て・・。明日はチャンスね。本当はもう休みたいよ。明日になったらねぇ・・。」
決戦前夜の誰もいないグリーンツダジム。人生の大事な日を前にした孤独と重圧。ここに佇むエディさんの独り言が聞こえたあと、暫く暗い室内の沈黙のままこのブロックを終えた。この番組の演出のセンスの良さを感じることができた。
1987年10月18日 WBC世界ストロー級(現ミニマム級)王座決定戦 井岡弘樹 対 マイ・トンブリフラム
いよいよ試合当日。会場は大阪の近畿大学記念会館。エディさんと井岡弘樹が会場入りする。エディさんにとってはトレーナー人生最後の決戦の舞台になるかもしれない。会場には東京から奥さんの百合子さん、そしてアメリカからシャロンさんとダーナさんのふたりの娘さんも来ていた。エディさんの家族が久しぶりに合流した。
控室の緊迫した映像に続いて、いよいよ試合のリングの映像へ。藤田弓子さんのナレーションからも緊張感が伝わる。
Na ~ 「試合の結果で少年の人生が全く違ったものになることをエディは知っています。エディ自身にも次のチャンスがあるとは限らないのです。」試合開始のゴングが鳴った。
このあとの展開は、このドキュメンタリーを制作したスタッフの素晴らしい能力を知ることになった。井岡弘樹の対戦相手は、タイのマイ・トンブリフラム。小柄だが右に一発のパンチ力を秘める油断ならない相手だ。試合当日にテレビ中継された映像と実況はあるのだが、それは極力使用しないで、出来るだけこの番組自前の映像と音声を使用しているようだった。独自カメラは赤コーナーと青コーナーの後方に設置したカメラが2台、リングを対角線上に置いて選手と井岡コーナーの動きや表情を捉えるようにしていた。それからもう1台、井岡サイドの赤コーナーのリング下にハンディカメラを用意して、ラウンド間に井岡にアドバイスしているエディさんの表情を正面から撮影できるようにしていた。そのほか、何台かのハンディカメラも用意して撮影していたようだが、主に3台のカメラの映像で試合の推移を追いかけるようにしていた。
そして何よりも際立っていたのが、この試合をエディさんの声だけで表現しようとしたことであった。エディさんの声をクリアに拾うには、本人にピンマイクをつけてもらって電波を飛ばすか、あるいは長い棒状のガンマイクをエディさんに向けて声を拾うかしかないが、ボクシング会場のような歓声やノイズが多い場所では、ひとりの声だけをクリアに拾うのは技術的に、結構難しいことでもあるのだ。しかしこの試みは、このドキュメンタリーでは極めて有効な方法であった。3分間の激闘を終えた井岡が赤コーナーに返ってくると、すかさずエディさんがリングの中に飛び込んで井岡に渾身の思いを込めてアドバイスを送る。その鬼気迫る表情と会話、そして藤田弓子さんのナレーションだけで番組が成り立っていると言っていい。1Rが終わった。井岡の手数が上回った。エディさんと井岡の会話。
エディ「イオカ、OK !」
井岡「取ったね ! 」
エディ「取ったあ ! イオカ、あいつ右だけ。気をつけて。OK ?」
試合は井岡優勢のまま進む。
藤田弓子さんのナレーション。
Na ~ 「少年は絶好調でした。チャンスと見れば打ち込み、打っては引き、相手のパンチは空を切っています。着実にポイントを稼いでいきます。最大のチャンスは6Rにやってきました。必殺のレバーパンチも何発かトンブリフラムを捉えました。・・」
6R、井岡の連打で相手はロープに下がりダウン寸前まで追い込まれた。インターバルでエディさんの声が一段と大きくなった。
「ナイス、ボーイ ! イオカ、あんた、もう勝つよ。OK ? 頑張るのよ ! 世界チャンピオンよ ! 頑張るのよ ! もし苦しかったら、バネ(フットワーク)使って。そして、ジャブ、ジャブ。OK ? カモン、ボーイ ! 」
後半になって、タフなトンブリフラムも盛り返してきた。ポイントをリードしていても、ボクシングは一発のパンチで形勢逆転もあり得る競技だ。迎えた最終12R、ここから試合終了までが素晴らしい。試合は大詰めを迎えて館内は様々な声や音が飛び交っている。カメラは井岡の試合ではなく、エディさんの表情だけをアップで追い続ける。そして暫くの間は場内の音だけにして、あとはノンモン(無音)。その時が来るまでの長い時間を、エディさんの表情とノンモンだけで表現したのだった。
試合終了のゴングが鳴った。井岡がコーナーに戻って来た。エディさんは18歳の愛弟子を抱きしめて言った。
エディ「イオカ、おめでとう ! 長い間に・・・。どうも・・・」あとは声にならなかった。
判定は井岡。WBC世界ストロー級(現ミニマム級)の初代チャンピオンになった。早速、リング上で井岡とエディさんが肩車されて担ぎ上げられ、場内が歓喜で包まれている中、ふたりで勝利を喜んだ。
エピローグ
このドキュメンタリーには、そのあとがある。井岡の試合のあと、東京の自宅に戻っていたエディさんが、急に体調を崩して救急車で病院に運ばれたのだ。極度の疲労が原因だと言う。病室には奥さんの百合子さんが来て看病していた。
「疲れが出たのね・・」と百合子さん。エディさんは、病院のベッドで深い眠りについていた。
藤田弓子さんのラストナレーション。
Na ~ 「『神様には逆らえない』とエディは口癖のように言います。6人目のチャンプを作れば、7人目の欲が湧いてきます。エディの闘いはエンドレス。終止符を打つのは、神様だけです。・・・」
そして最後は、3年間のトレーニングを経て世界タイトルを獲った井岡弘樹とエディさんのふたりの表情でエンディング。BGMは、またトランペットとピアノの味わいのあるブルースだった。
それから39年が経って・・・。
この関西テレビが制作したドキュメンタリー「エディとチャンプ ~ 老トレーナーの熱い闘い」が放送されてから、間もなく39年もの時間が経過する。エディさんは、翌年1988年2月1日に亡くなったが、この番組の続編ともいえるようなドキュメンタリーもNHK特集で放送された。ただ今回の関西テレビの番組は、放送されたのが深夜だったこともあって、ボクシング関係者でも見ていない人が多かったようだ。私自身が当時からドキュメンタリーを制作する立場にいたので、どうしても番組制作者の視点で見てしまうのだが、文中でも指摘したように、この番組が出来るまでかなり高度な知識やセンスが必要であったことが分かると思う。そしてこの番組を企画した時点では、井岡弘樹が本当に勝つかどうか分からない状況だったことも改めて考慮しておくべきだろう。もし井岡が勝てなかったりトラブルに見舞われたりしたら、かなりのリスクを負うことを覚悟した上で番組制作に踏み切っていたことも忘れてはならない。18歳の天才ボクサーが地元の大阪にいて、伝説的なボクシングトレーナーであるエディ・タウンゼントさんが指導していたとしても、その段階からずっと密着取材を続けていたことは、制作者としてもかなりの賭けに近いものだったと想定される。そしてエディさんや井岡弘樹の表情や心理を表現するために、様々な細かい演出や工夫が凝らされていることがよく分かる。このような番組は、ぜひ現代の若いスタッフにも見てもらって、優れたドキュメンタリーを制作するための参考にしてほしいものだ。
私自身は放送作家として、長年テレビ番組の企画や構成の仕事をしてきたし、また優れた番組を評価して受賞作を選奨する仕事も担当してきた。そのため残す価値のある番組は出来る限り録画するように努めてきた。ボクシングに関するものでも、試合のほかドキュメンタリーや映画などの映像が山ほどあり、それは貴重な資料として個人アーカイブに保存している。近年はYouTubeなどの動画配信で、世界中に無断で貴重な映像が出回っているが、ドキュメンタリーとなると権利関係も含めて過去の作品を自由に見られるようになるのはなかなか難しい問題がある。しかしボクシングの世界だけでも、せめて過去の優れた映像作品を誰かが管理して、次の世代に伝えていく努力を続けるべきだろうと思う。いずれにしても、39年前に関西テレビが制作した「エディとチャンプ ~ 老トレーナーの熱い闘い」は素晴らしい作品だった。多くの人にもこれを見てほしいと思う。またこの番組を制作したスタッフの人たちには、改めてここで感謝したい。